果てしなく続いた「論文の書き方」を模索する旅の終着点についたかもしれない話①

学生にとって「論文の書き方」は避けて通れない。

 

どうやってアウトラインを作るかとか、そもそもアウトラインを作ってから書かないといけないよとか、

意外と大学で教わる機会は少ない。

 

というときに、古典的(というほど古くはないけれど)名作はこれだと思う。

学部生に質問されたりすると、まずはこれを進めている。

 

そして、自分が社会人を経て大学院生になってから、繰り返し読み返しているのはこれ。

日本語タイトルがやや胡散臭く感じられる向きもあると思うんだれど、

(「できる研究者」って言い回しが、)

原著のタイトルは「How to write a lot」。

つまり、「いかにしてたくさん書くことができるのか」について、

アメリカの心理学者が、心理学的な観点から(←ここポイント!)書いたもの。

 

大学院に入って以降は、論文の形式的な意味での書き方はもうわかっているわけだけれど、

ここから向き合わないといけなくなるのが、

いかに継続的にアウトプットを続けるかということ。

 

この本は、修士の頃に、信頼してる同期が進めてくれて、

それ以来、なんだかやる気が出ないとか、どうも調子出ないときとか、

これをパラパラ読むと、「またパソコンに向かおう」という気持ちにさせてくれる。

 

シリーズで、同じ著者のこれも読んだ。

一冊めが、「どうやってたくさん書くか」について書かれていたのに対して、

こちらは「いかに書き上げるか」「どうやっていい論文を書くか」に焦点が当てられている。

 

投稿先の選び方や、査読者とのやりとりについても扱っているので、

(こういった点については、私は大学院で情報を得られることも多いんだけれど、)

あまりそういう情報を得る機会がない院生には、とても有益な情報だと思う。

 

私がこの本で印象に残っているのは、「考察の書き方」に関する箇所。

 

よい「考察」には例外なく2つの特徴がある。(中略)

2つ目。良い「考察」では、研究の弱点ではなく、強さが際立つ。どんな研究にも弱みがあるのは間違いないが、「考察」には、嘆き節が延々と続くようなものまであって、そういう「考察」の場合、さほど重要ではない欠点についてくだくだと説明していて、まるで査読者から受けるであろう批判に怖気づいてでもいるようだ。もし自分の研究に深刻な欠陥があると思うなら、そもそも研究を発表したりなどすべきでない。(中略)

論文は、読者が、その研究が重要だと感じ、その分野の懸案事項をめぐってその論文に何らかの意義があると感じながら読み終えられるようになっていてしかるべきである。だとすれば、「お持ち帰り」用の建設的なメッセージーー読者に理解してもらいたい発想ーーが、長々と続く言い訳に埋没してしまうのはまずい。(p147-148)

 

耳が痛い!査読者からのツッコミを恐れて、過剰に防衛的な考察を書いてしまうこと、ある!

 

でも、わざわざ時間をとって読んでくれた人に対して、それは失礼、

「お持ち帰り」してもらえる建設的なメッセージを全面に出そう!と、

この文章を書いてからずっと意識している。

 

からといって、なかなかそれがうまくできないんだけれど、

少なくとも、「さほど重要でもない欠点についてくだくだと説明」することはないように心がけています。

 

それから、少し趣向が違うところで、少し前に読んだのがこれ。

 

の前に、千葉さんが書かれた本で「文章の書き方」的な話をされていたのがこちら。

この本では、『勉強の哲学』を書くにあたって、アウトライナーをどう使ったかという話を、すごく具体的にされていた。

 

それまで私はアウトライナーという存在自体を知らなかったんだけれど、これは論文書くのに有用そうだと思って、「Workflowly」をダウンロード。

 

結局論文を書くときにはあまり使っていないんだけれど、発想を整理したいときとかに活用してる。

 

『ライティングの哲学』の話に戻ると、この本で印象的だったのは、リラックスしてる時間とやや腰の重い執筆の時間をいかにシームレスにするかという千葉さんのお話。

 

(略)いまのぼくにとって仕事をするとは、基本的にアウトライナー上でフリーライティングをすることです。それって、重い腰を上げて「よし、やらなきゃ」というものではない。そこがポイントで、茶店でちょっとゆっくりしてるときとかに、いま頭の中で思っていることを全部、ジャンルもごちゃまぜでWorkflowlyにどんどん書いてしまうわけです。「えーっと」とか「今日はフリーライティングしてみるわけだけど」とかもひとつひとつ全部、箇条書きにしていくんですよ。

(略)

文章を書くときに構えてしまうことを突破するために、ぼくは以前「書かないで書く」というキーフレーズを考えたんですが、それは要するに「規範的な仕方で書かない」という意味なんですよね。脱規範化するためには、「そんなの書いているうちに入らない」くらいの雑な書き方であっても書いてしまえばいい。

この部分を読んで、すごく気持ちが楽になり、私も真似をして、

コーヒー飲みながら、「とりあえずWorkflowlyに思いつくことを書いてみよう」ということを時々している。

 

それからそれから、直接に「書き方」を扱っているわけではないんだけれど、

触れずにはいられないのがこちら。

長編小説を書く場合、1日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしています。僕のマックの画面で行くと、だいたい二画面半ということになりますが、昔からの習慣で四百字詰で計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとか頑張って十枚は書きます。なぜなら長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書いちゃう、書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だから、タイム・カードを押すみたいに、一日ほぼきっかり十枚書きます。

 

私の場合、「もっと書きたくても一定の分量でやめておく」ということはあまり起こらないんだけれど涙(そんなに調子良く書けることが滅多にない)、

なにかの〆切が迫っていて、どうしてもギリギリになってしまって徹夜に近い状態でなんとか〆切に間に合わせたりすると、

翌日まったく使いものにならなくて、一文字も書けないどころか、ちょっとしたものを読むことすらままならなかったりする。

なので、毎日規則的に書くということで、最終的なアウトプットを最大限にするために、やっぱりすごく重要なんだと、(自分のダメな習慣からも)実感するところ。

 

長くなってきたので、続きは別記事で。