果てしなく続いた「論文の書き方」をめぐる旅が終着点についたかもしれない話②

前回の続き。

 

大学院生の永遠のテーマ、「論文の書き方」をめぐる本を、この5年ほど探し続けた私の記録。

 

直接的に論文の書き方を扱っているわけではないけれど、ぜひ言及したいこの本、『天才たちの日課 女性編』

 

これは「女性編」なわけですが、最初にこちらが出てたんですよね。

天才たちの日課

天才たちの日課

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で、この本が出た後に、ここで紹介される人物が男性に偏っていることを、著者自身が批判して、女性に限定した続編が出たという経緯です。

なぜなら、そういう人々が問題に直面したとき、それを解消してくれたのは、献身的な妻や、使用人や、巨額の遺産や、何世紀も前から受け継がれてきた特権などである場合が多かったからだ

彼女たちがクリエイティブな仕事と家庭内のごたごたや義務などをどのようにさばいているのか——わき目も降らず仕事第一で突っ走っているのか、時間を上手に配分してこなしているのか、ある種の義務はわざと無視しているのか、あるいはそういった方法を少しずつ組み合わせているのか——その点を明らかにすることが、彼女たちの日常をありのままに描くために欠かすことができなかった。それは私が先ほど述べた本書のもくろみ——創造性を発揮するためにはどうすればいいか悩んでいる現代の読者のヒントになる本にすること——にもつながっている。

 

産後の私にはこういう問題設定がとてもグッときます。

 

子どもがいる中でどう書くか、というメンタリティに関するミランダ・ジュライの言葉が大好きなんだけれど、これはまた別の機会に。

 

どうやって文章を継続的に書くかという文脈で、

私がときどき読み返しているのがこの人。

ハリエット・マーティノー(1802-1877)

 

女性初の社会学者ということで引き合いに出されることが多いそうなのだけれど、

恥ずかしながら私はこの本ではじめて知りました。

私もほかの著述家と同じように、怠惰や優柔不断や仕事への嫌悪や「インスピレーション」の欠如などに悩まされた。しかし同時に、次のようなことにも気づいた。いくら気が進まないときでも、ペンを持って席につくと、十五分もすれば必ず快調に書き進められるようになっている。その十五分はいつも、仕事をするべきかどうか自問したり疑ったり迷ったりする時間だ。未熟なころには、仕事をするべきではないという考えに屈してしまうこともあった。しかしいまでは、そんなことに十五分も使うのは大変な時間の無駄であり、それ以上にエネルギーの無駄だと考えている。

 

そういえば、修士の頃にある先生が、「自分はやる気が出ない日は、(論文に載せる)図表の整型をしてる。それだけでメンタルが安定する」的な話をしてくれたことがあった。

 

確かに、SPSSで分析した結果って、自動的に論文に載せられるようなきれいな形で出てくるのかと、(SPSSを触る前は)思ってけれど、そうじゃないんですよね。

 

Excelでコツコツきれいに整えるのって、バタバタしているときにやろうとすると「ザ・ブルシットジョブ!」という感じだけれど、

どうもやる気が出ない日にとりあえず手を動かして、最終的に必要なことをやっているって思えると、すごくメンタルのためにいい。

 

とやや脱線しましたが。

 

そして、「How to write a lot」のポール・シルヴィアも、女性初の社会学者というハリエット・マーティノーも、基本的には「とにかく書け」(スランプなんて状態はない!)ということを言っていると思うんだけれど、

そしてそれは大前提だと思うんだけれど、

 

そして、ポール・シルヴィアは、「たくさん書くためにはいい計画を立てることが必要!」とも言っているのですが、

そのいい計画が立てられない。

 

なぜかというと、

論文の執筆開始から完成までを、そもそも上手くタスクに分けられない。

もちろん「〇〇の先行研究を整理する」とか、「〇〇の分析をやり直す」とか、そういうタスクに分けることはできるんだけれど、一つのタスクを進めているうちに、その後に必要なタスクが変わってきてしまう。

 

ということで、ずっとあと一つピースが足りない、みたいな気分だったのです。

 

そして最近、ついに最後の1ピースをうめてくれる本と出会いました。

これは、かのニクラス・ルーマンが編み出したという「ツェッテルカステン」(舌かみますね)という方法を解説したもの。

 

「ツェッテルカステン」とはなんぞやということが、かなり詳しく書かれているので、ご関心ある方はぜひ直接読んでみていただきたいのですが、

まず私がビビッときたのは、

「計画」を立ててしまうことが、やる気を失わせている(p31)

という節。

計画がなければ、手あたり次第にだらだらやるしかない、という考え方は大きな誤解です。洞察や、新たなアイデアを生み出すためにできるようなワークフローをまず構築することに、鍵があります。事前に立てた計画にこだわるあまり、予想外のアイデア、発見、洞察の芽をつみとってしまったら台なしです。(p32)

そう!それで困ってたの!!

 

そして、涙なくしては読めない、

文章を完成させるために必要な「タスク」をあらかじめ出すのは不可能

という節。

 書くことは、一直線のプロセスではありません。さまざまなタスクのあいだを行ったり来たりしなければいけません。

 ただ、細かいタスクまで管理しても意味がありません。反対に、目標を大きくとらえようとしても役に立ちません。そうすると、次の手順が「文章を書く」ぐらい大ざっぱなものになってしまいます。

 これでは、書くための準備としては心もとないですね。文章の準備のため、1時間程度ですむものから1ヶ月かかるものまでさまざまなタスクがあるからです。

 タスクはもれなく対応しなければなりません。そうしなければ、どうでもいいと思っていたタスクが緊急事態に変わったりなどして、将来苦しめられることになります。

 書くことには、素材集めから校正まであらゆるプロセスがあります。

 ここでの目標は、小さな手順から次の手順へとスムーズに移行できるにもかかわらず、それぞれのやるべきことを柔軟にやれるぐらい、各手順が独立しているようにすることです。

 これらをクリアにするためには、書き、学び、思考するといった時間や目的に制限のないプロセスに適したメモとりシステムが必要です。

 

そう!そう!そうなの!!

でもどうやったらいいのかわからなかったの!!!

と心の中で叫びながら、

さっそく「ツェッテルカステン」で、

まずはこれまで雑多に書き散らかしてきた(博論用の)メモを整理し直しました。

 

これで博論を書き切れそうな気がしている。

 

「ツェッテルカステン」の具体的な方法は、

この本全体でかなり丁寧に説明されていて、

ここで正確に要約する自信がないので、

ご関心ある方は手に取ってみてください。

 

というわけで、私の長い長い「論文の書き方」を模索する旅は、やっと終着点についたかもしれない。

そして、『TAKE NOTES!』を全大学院生におすすめしたい。

果てしなく続いた「論文の書き方」を模索する旅の終着点についたかもしれない話①

学生にとって「論文の書き方」は避けて通れない。

 

どうやってアウトラインを作るかとか、そもそもアウトラインを作ってから書かないといけないよとか、

意外と大学で教わる機会は少ない。

 

というときに、古典的(というほど古くはないけれど)名作はこれだと思う。

学部生に質問されたりすると、まずはこれを進めている。

 

そして、自分が社会人を経て大学院生になってから、繰り返し読み返しているのはこれ。

日本語タイトルがやや胡散臭く感じられる向きもあると思うんだれど、

(「できる研究者」って言い回しが、)

原著のタイトルは「How to write a lot」。

つまり、「いかにしてたくさん書くことができるのか」について、

アメリカの心理学者が、心理学的な観点から(←ここポイント!)書いたもの。

 

大学院に入って以降は、論文の形式的な意味での書き方はもうわかっているわけだけれど、

ここから向き合わないといけなくなるのが、

いかに継続的にアウトプットを続けるかということ。

 

この本は、修士の頃に、信頼してる同期が進めてくれて、

それ以来、なんだかやる気が出ないとか、どうも調子出ないときとか、

これをパラパラ読むと、「またパソコンに向かおう」という気持ちにさせてくれる。

 

シリーズで、同じ著者のこれも読んだ。

一冊めが、「どうやってたくさん書くか」について書かれていたのに対して、

こちらは「いかに書き上げるか」「どうやっていい論文を書くか」に焦点が当てられている。

 

投稿先の選び方や、査読者とのやりとりについても扱っているので、

(こういった点については、私は大学院で情報を得られることも多いんだけれど、)

あまりそういう情報を得る機会がない院生には、とても有益な情報だと思う。

 

私がこの本で印象に残っているのは、「考察の書き方」に関する箇所。

 

よい「考察」には例外なく2つの特徴がある。(中略)

2つ目。良い「考察」では、研究の弱点ではなく、強さが際立つ。どんな研究にも弱みがあるのは間違いないが、「考察」には、嘆き節が延々と続くようなものまであって、そういう「考察」の場合、さほど重要ではない欠点についてくだくだと説明していて、まるで査読者から受けるであろう批判に怖気づいてでもいるようだ。もし自分の研究に深刻な欠陥があると思うなら、そもそも研究を発表したりなどすべきでない。(中略)

論文は、読者が、その研究が重要だと感じ、その分野の懸案事項をめぐってその論文に何らかの意義があると感じながら読み終えられるようになっていてしかるべきである。だとすれば、「お持ち帰り」用の建設的なメッセージーー読者に理解してもらいたい発想ーーが、長々と続く言い訳に埋没してしまうのはまずい。(p147-148)

 

耳が痛い!査読者からのツッコミを恐れて、過剰に防衛的な考察を書いてしまうこと、ある!

 

でも、わざわざ時間をとって読んでくれた人に対して、それは失礼、

「お持ち帰り」してもらえる建設的なメッセージを全面に出そう!と、

この文章を書いてからずっと意識している。

 

からといって、なかなかそれがうまくできないんだけれど、

少なくとも、「さほど重要でもない欠点についてくだくだと説明」することはないように心がけています。

 

それから、少し趣向が違うところで、少し前に読んだのがこれ。

 

の前に、千葉さんが書かれた本で「文章の書き方」的な話をされていたのがこちら。

この本では、『勉強の哲学』を書くにあたって、アウトライナーをどう使ったかという話を、すごく具体的にされていた。

 

それまで私はアウトライナーという存在自体を知らなかったんだけれど、これは論文書くのに有用そうだと思って、「Workflowly」をダウンロード。

 

結局論文を書くときにはあまり使っていないんだけれど、発想を整理したいときとかに活用してる。

 

『ライティングの哲学』の話に戻ると、この本で印象的だったのは、リラックスしてる時間とやや腰の重い執筆の時間をいかにシームレスにするかという千葉さんのお話。

 

(略)いまのぼくにとって仕事をするとは、基本的にアウトライナー上でフリーライティングをすることです。それって、重い腰を上げて「よし、やらなきゃ」というものではない。そこがポイントで、茶店でちょっとゆっくりしてるときとかに、いま頭の中で思っていることを全部、ジャンルもごちゃまぜでWorkflowlyにどんどん書いてしまうわけです。「えーっと」とか「今日はフリーライティングしてみるわけだけど」とかもひとつひとつ全部、箇条書きにしていくんですよ。

(略)

文章を書くときに構えてしまうことを突破するために、ぼくは以前「書かないで書く」というキーフレーズを考えたんですが、それは要するに「規範的な仕方で書かない」という意味なんですよね。脱規範化するためには、「そんなの書いているうちに入らない」くらいの雑な書き方であっても書いてしまえばいい。

この部分を読んで、すごく気持ちが楽になり、私も真似をして、

コーヒー飲みながら、「とりあえずWorkflowlyに思いつくことを書いてみよう」ということを時々している。

 

それからそれから、直接に「書き方」を扱っているわけではないんだけれど、

触れずにはいられないのがこちら。

長編小説を書く場合、1日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしています。僕のマックの画面で行くと、だいたい二画面半ということになりますが、昔からの習慣で四百字詰で計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとか頑張って十枚は書きます。なぜなら長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書いちゃう、書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だから、タイム・カードを押すみたいに、一日ほぼきっかり十枚書きます。

 

私の場合、「もっと書きたくても一定の分量でやめておく」ということはあまり起こらないんだけれど涙(そんなに調子良く書けることが滅多にない)、

なにかの〆切が迫っていて、どうしてもギリギリになってしまって徹夜に近い状態でなんとか〆切に間に合わせたりすると、

翌日まったく使いものにならなくて、一文字も書けないどころか、ちょっとしたものを読むことすらままならなかったりする。

なので、毎日規則的に書くということで、最終的なアウトプットを最大限にするために、やっぱりすごく重要なんだと、(自分のダメな習慣からも)実感するところ。

 

長くなってきたので、続きは別記事で。

日本社会学会で報告します

9/15(土)〜16(日)に甲南大学で開催される日本社会学会大会の、

産業・労働・組織(1)部会で報告します。

報告題目は「女性の就労と不妊治療」です。

 

昨今、「不妊治療と仕事の両立」という新しい社会課題が注目されています。

今年の3月には、厚労省がこのテーマではじめて行った調査の結果が公表されました。

www.mhlw.go.jp

 

私は昨年、「就労しながら不妊治療を受けた経験を持つ女性」を対象に、就労上の葛藤や困難についてインタビュー調査を実施しました。

今回の学会大会では、このインタビュー調査の分析を中心に報告する予定です。